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もりゆか
横浜・神奈川を中心に、イベントやプロモーション、まちづくり、様々な事業の事務局などに携わって35年。ライターとしての仕事もときどき。本業のルーデンス株式会社では、オフィスのあるみなとみらい界隈を徘徊。一方、関内にあるNPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボの共同代表も務める。美味しいFOODと美味しいお酒、人とゆるくつながるのが好きで、夜は関内あたりに出没。嗅覚が鋭いのか、旅先でもいい店に出会いがち。南区在住
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とある日、裏馬車道の古いビルの2階。ドアを開けると、ジャズと会話が聞こえてきた。店主の吉田さんがにこやかな表情で迎えてくれる。黒を基調にしたシックな店内には、絵画が飾られ、全体的に「大人っぽい」「おしゃれな」「落ち着いた」雰囲気が醸し出されている。一段高くなったカウンターには、ライブ帰りのカップルが2組。それぞれ、会話とお酒を楽しんでいる様子。ここは、まさに「大人の社交場」である。
吉田さんは、福井出身。高校までは福井で過ごした。地元で就職せずに、もっと社会を広く知りたいと考え、親を騙して?都内の簿記専門学校へ。25歳の時、そろそろ就職しようと考えたが、普通のサラリーマンも、簿記関係の職場も無理だと思い、選んだのが、深大寺にあった手打ち蕎麦の店だった。そこでは、1年間、観光客向けに、大量の蕎麦を打ち続けた。
次に入ったのが、株式会社フォンスという会社。在職した約10年間、ここで吉田さんは多くを学んだという。江戸時代の「蕎麦屋酒」を現代に。現在の「壱クラシック」にも通じるコンセプトは、ここで学んだことから生まれた。
そして独立。神奈川県内、それも関内がいいと思った。住吉町3丁目。関内さくら通りの脇を入った路面店という物件での開店となった。30席程度で、現在の店より少し明るい感じ。裏通りということもあり、開店してから2週間は一人の客も来なかった。しかし、さくら通りにあるクリエイターたちが来るようになり、次第に人気店に。
なんと2か月で黒字化したという。確かに、当時、私もよく通っていたが、昼も夜もほぼ満席だった印象がある。
これまでの店を「壱 本店」とし、2店舗めを出した。ワインとグリル料理の店。それが、現在の「壱クラシック」の場所だった。
「それで、天狗になっちゃったんですかね」と吉田さん。4年目からは借金に苦しむこととなる。
2020年の年明け。「青天の霹靂」とは、まさにこのことという事態が起こった。
「ビルが老朽化したため、半年以内に退去してください」との通告。
さらに、2020年2月5日、横浜港に停泊中のダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員から新型コロナウイルスの感染が確認された。そこからは、ご存じの通り、飲食店は大変な状況に。壱も例外ではなかった。
吉田さんは、決断した。スタッフには全員辞めてもらった。ワインとグリル料理の店を蕎麦屋とし、低コストで維持することで、銀行にも融資してもらうことができた。本店が居酒屋的な雰囲気になり、メニューもどんどん増えていたのも改めた。蕎麦屋本来の形。改めて、自分がやりたかった理想の形を追求することにした。メニューを厳選し、酒の種類も絞った。これを機に店名を見直し「壱 クラシック」とした。
それから3年。客層もがらっと変わった。大人の会話を楽しめる人たちが集まってきてくれるとか。
うまい蕎麦とは?
「蕎麦は、素材や水も大事だけど、打ち方が6割。職人の技が最も重要です。昔、大阪が商人のまち、京都が公家のまちだった頃、江戸は職人のまちだったんです。職人的思考が江戸のまちを牛耳っていた。江戸前の蕎麦は、打ち手の技術で決まります」。
そもそも蕎麦屋とは?
「蕎麦屋たるもの、うまい酒、うまい食べ物、そして大人の会話ができることが重要。食べにくいものはNG。見なくても食べられるものじゃないといけない。季節感などは取り入れず、いつも同じものでいいんです。そして、うまい蕎麦を出す。
今は、理想に近づいてきていると思います。このビルも古いので、老朽化で立ち退くことになるかもしれない。でも、次も関内でやりますね。関内が大好きなんです。老舗と呼ばれることを目指します。」
取材で、蕎麦打ちの様子も見させてもらった。
実は、打ち方のコツや、おいしい蕎麦のヒミツなども、いろいろ伝授? していただいたのだが、今回はやめておこう。
まずは、だれかを誘って、吉田さんの蕎麦を味わってほしい。もちろん、大人の会話とともに。
Shop info/店舗情報
- 手打ちそば・酒・料理 壱クラシック(いちくらしっく)
- 住所
- 横浜市中区住吉町5-63 吉田ビル2F
- 営業時間
- 月・火・水・木・金 12:00 – 13:30/17:30 – 21:00 土17:30 – 21:00
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