- 関内・伊勢佐木町
- 洋食バー・バル
菅原 瑞穂(あんじゅ)
お酒と酒の肴をこよなく愛するコピーライター。言葉の面から地域活性化やジェンダーフリー、保護猫活動に関わる。江戸川乱歩で一番好きなのは『芋虫』。二つ名はあんじゅ。火曜日だけの立ち飲みバー「革命」(六角橋商店街)の店主でもある。
同じライターの記事一覧畑中さんは横浜市西区出身。生粋のはまっ子です。料理の道に入ったきっかけは日本大通りにあったドイツ料理店「アルテリーベ」(現在はリニューアルを経てフレンチの要素を多く取り入れたレストランとして営業)にサービスマンとして勤めたこと。
同店のシェフに「どうせだったら料理をやれば」、「やるなら王道のフランス料理がいいよ」とアドバイスを受けた畑中さんは、日比谷の老舗フレンチレストランに入店します。
「修行は本当に厳しかった。思い出したくもないくらい笑 今ではあり得ないですけどスポ根の世界でしたから。7時に店に入って、終わるのは23時や24時、終電ギリギリで」
その厳しさに3年間耐えて基礎を身につけた畑中さんは、神楽坂の本格フランス料理店に転職。ここはミシュランの星を1つ取るほどの名店でした。
「神楽坂での仕事はとても勉強になりました。仕入れにもこだわりがあって、わざわざ地方から取り寄せたり。高級食材もいろいろと使えましたし」
その後、観光がてらフランスを訪れ、食べ歩きをしたり研修を受けたりした畑中さん。一旦帰国して本格的にフランスに行こうかと考えていた頃、お世話になった先輩から声が掛かり、新山下にあった「タイクーンコンチネンタル」料理長に抜擢されます。
当時の畑中さんは若干30歳。サービスマンからシェフを目指した経緯といい、職場の先輩がつないでくれたご縁が良い方向にキャリアを動かしているように思えます。
「そうですね。人には恵まれているかもしれません」
開業から10年で「タイクーンコンチネンタル」が閉店し、畑中さんは日本大通りの洋食屋「taku」でのアルバイトを始めます。すでに独立を決めていたため、オーナーに「独立するので1年で辞めます」と伝えたところ、「だったら系列の居酒屋を閉めるつもりだから、そこでやれば?」と提案されます。
そんなわけでここでも人に恵まれ、独立前に勤めたバイト先のオーナーから譲り受けた店舗でオープンしたレストランが「トランキーユ」なのです。
主に高級レストランで修行を積んできた畑中さんですが、独立して開いたお店は雰囲気もお値段もカジュアルなネオビストロ。シェフもコックコートにコック帽ではなく、カットソーに前掛け姿のカジュアルスタイルです。
「『これじゃなきゃダメだ』という縛りは僕の中にはないですね。自分がやってきたことを今の店でできるスタイルに落とし込むと、こういうメニューになる」
金曜限定でレアなクラフトビールを飲めたり、和やエスニックの要素を取り入れたお皿もあったりと、正統派の枠に捕らわれない自由な美味しさが楽しめる「トランキーユ」。
「特に凄いことをやっているわけではなく、今までやってきたことを反復しているだけなんです。ただ、関内のお客さんに沿っている部分はあるかな。野毛なら野毛の、石川町なら石川町の、場所に合った料理はあると思うので」
そんな畑中さんがとんでもなくこだわっているのが、実はカトラリー。
「グラス、お皿、カトラリーとあったら、僕はカトラリーに一番こだわります。カトラリーレストもお店のロゴを象ったものを特別に作ったんですよ」
鹿肉専用のナイフをお持ちだということで、畑中さんに見せてもらいました。ハンドルが鹿の角でできています。鹿角を使ったナイフで有名なのはライヨールのものですが、こちらはMappin & Webb(マッピン&ウェッブ)という英国の王室御用達ブランドのもの。ライヨールのものより軽くて、お肉を切るときに疲れないのだそうです。
メニューには「Madam’s」という項目があります。店内にマダム(=女店主、女将さん)の姿は見当たらないのですが、こちらは?
「これは妻が好きなメニュー。ラクサというシンガポール料理が美味しかったからやって!って言われて出したり。だから妻の気分で変わるんです」
「トランキーユ」という店名の由来を畑中さんにたずねてみました。
「Transquille(トランキーユ)は、静か、穏やか、落ち着いた、などを意味するフランス語。友人の中には『静か』なんてレストランは縁起が悪いからやめろ!って言われたんですが、ゆったり落ち着いて食事できる店にしたくて」
畑中さんには職人の世界で生きてきた人特有の気難しさがまったくなく、料理やお酒のことはもちろん、音楽やナイフの世界など幅広いトピックについて気取らず楽しくお話できる方でした。賑やかな店ではなく落ち着ける空間で美味しいものが食べたいなと思った日は、ぜひ「トランキーユ」へ。一人飲みのお客さんも歓迎です。